2020年11月5日木曜日

Covid-19について

今年の2月頃から、国内で新型コロナウィルスCovid-19の感染が拡大しました。

イベントが各地で中止になり、まずい流れだなあと思っていました。

最初は、インフルエンザ並みの対策で問題ないと思っていましたが、Covid-19に感染しても無症状の人もいることや、後遺症があることも分かってきたことから、こういった未知のウィルスに対しては、恐れすぎるくらいでちょうどいいと思うようになりました。

例えば、ネイティヴアメリカンは、ヨーロッパからやってきた移民が持ち込んだ感染症によって、90%以上が亡くなったという話もありますので。いま欧米で感染が拡大傾向にあるのは、Covid-19がアジア発のウィルスであるという地理的な要素もあるのかもしれません。

Covid-19は、無症状の人を介して広がっていける、「とてもよくできたウィルス」だと思いました。

クラスター対策だけでは、無症状の人を追えないことがあるので、感染拡大を抑え込むのには効果が低いと思いました。クラスター対策だけやっていても、新たなクラスターの発生は防げないと思います。

無差別的な検査と陽性者の隔離、生活費の補償をするしかないと思いました。

そうすれば、「新しい生活様式」にしなくてもいいし、マスクをする必要もありません。


Covid-19に対して、自分は何ができるのだろうかと思いました。

私は昨年末から、戸籍の収集と図表の作成の仕事を主にしていました。

それはそれで、自分にはとても向いていて優位性のある仕事だと思うのですが、ただ、できることならば、人類の危機において、治療薬を作ったり、検査装置を作ったり、社会に対して有用な提言をしたりするような人物でありたかったなとも思いました。

現在の自分の状況について、許容できなくなりつつあったというか、無力感を感じました。人生間違えたと思いました。教養のなさ、専門性のなさ、技術力のなさを痛感しました。

何をやっても無駄なのではないかと思うようになり、無気力状態になり絶望する人も多くいただろうと思います。

Covid-19が収束するまで、おそらく今後数年は、実体経済が低調になると思います。

そのようななかで、どのようにしていけばよいのでしょうか。

とりあえず私は、新たに、これまでやったことのない分野の勉強を始めてみました。やり残したことをやっておきたいという感覚かもしれません。

以上です。

2020年9月10日木曜日

半沢直樹 第2話の感想

毎週、「半沢直樹」を見ております。

半沢直樹の第2話に、山崎銀之丞が出演していました。

山崎銀之丞は福岡県の出身で、ラジオのパーソナリティーなどをしていたのですが、つかこうへいに見出されて上京しました。

私が初めて山崎銀之丞を知ったのは、20年くらい前です。

大学2年生の時に、つかこうへい作、阿部寛主演、「熱海殺人事件 モンテカルロイリュージョン」(以下「モンテカルロ」という。)のビデオを見ました。100回くらいは見たでしょうか。

「熱海殺人事件 モンテカルロ・イリュージョン」

モンテカルロでは、山崎銀之丞は犯人大山金太郎の役をやっていました。牧野元副頭取役の山本亨も出演しています。

銀之丞の台詞の言い回しは独特で哀愁があり、私も参考にすることがありました。

当時の私は演劇に勤しんでおり、ちょうど、つかこうへい先生の作品「ロマンス」に出演する予定で、日々稽古をしていました。

「ロマンス」、「熱海殺人事件 ザロンゲストスプリング」、「熱海殺人事件 売春捜査官」の3作同時公演ということで、3つの作品が同時に稽古をしていました。

私は「ロマンス」に出演していたのですが、熱海殺人事件の大山金太郎の代役をすることもありました。

そのときに、即席で山崎銀之丞のような感じで台詞を言うと、「おいおいどうしたんだ、良い感じじゃないか。」みたいなことを言われました。

20年経っても、銀之丞さんの芝居の本質、通底するものは全く変わっていません。

私はモンテカルロを見ているようでした。

「モンテカルロだな」と思いながら見ていました。

これからも、銀之丞さんのことを応援し続けていきたいと思いました。

ちなみに、私が好きな俳優は、渡辺いっけいです。

「マンガの夜」 ←これは1000回くらい見て、全て文字起こししました。

以上です。

2020年8月21日金曜日

生活保護申請の却下

先日、被後見人さんの生活保護申請をした件ですが、却下となりました。

そして、境界層にも該当しないということで、生活保護法制から完全に脱却しました。


昨年10月、消費税率が8%から10%になりました。

その際、年金生活者支援給付金制度というものが開始され、年金にプラスして、年金生活者支援給付金を受け取れることになりました。

これにより、収入が生活保護基準を上回りました。

もともと、生活保護基準を若干下回るくらいの収入で、少しずつ預貯金が増えてきていました。

このままだと生活保護の一時停止もありえるかなと思っていたところ、収入が増え、生活保護基準を上回り、生活保護の廃止になりました。

そして今般、境界層にも該当しないということで、生活保護法制から完全に脱却しました。

以上です。


2020年7月1日水曜日

生活保護申請(却下待ち)

先日、福祉事務所にて、被後見人さんの生活保護の申請をしました。
昨年、被後見人さんの収入が少し増加したことから、ほんの少し収入の基準を上回り、生活保護が廃止になりました。
その際、福祉事務所で境界層該当証明書というものを発行してもらいました。
その証明書を添付して、「介護保険負担限度額認定証」の再交付の申請をしました。
これにより、介護サービス利用料の一部が減額されました。されたのでしょう。
そして今回、「介護保険負担限度額認定証」の更新時期になり、役所から送られてきた案内文を見ると、引き続き減額を受けるためには、境界層該当証明書が再び必要であるということでした。
一回証明されただけではだめで、更新ごとに必要なのですね。
私は、境界層該当証明書は、くださいと言えばすぐに発行されるものと思っていたのですが、全然違いました。
生活保護の申請をして、却下され、かつ、境界層に該当すると認められなければ、発行されないそうです。
却下してもらうために、申請しないといけないわけです。
というわけで、生活保護の申請をしてきました。
現在、却下待ちです。
どうなるでしょうか。
以上です。




2020年6月29日月曜日

長期相続登記等未了土地解消作業5 旧民法730条2項(いわゆる去家による養親子関係の消滅)(備忘)

昨年の12月16日に作業を開始して、今月の21日に60件目を納品することができました。
約6カ月かかりました。
59件目を納品したのが4月15日でした。
60件目を納品したのが6月21日です。
あと1件というところで、2か月足止めをくらいました。
戸籍の返送処理速度が自治体によって違うので、遅い所に当たってしまうと、納品も遅くなるのです。おそらく、雨合羽の仕分けで忙しかったのだと思います。
取得した戸籍・附票の数は約2100通でした。

60件の内、珍しかったものとしては、家附の継子の相続権について(備忘)にもありますように、「家附の継子」が登場したものが1件ありました。
また、旧民法730条2項(いわゆる去家による養親子関係の消滅)の適用により、養親子関係が消滅しているかどうか、が問題となるものが2件も(!)ありました。
どうやって見つけることができたのか自分でもよく分かりませんが、見つけることができました。

いちおう、①養子縁組が継続する場合、②養子縁組が解消する場合、の2種類データを作成し、②となった場合に不要となる戸籍・附票のリストも作成して、納品しました。

例えば、以下のような時系列です。名前、日付は架空です。
甲と丙との養親子関係が消滅しているかどうかが問題となります。

1 甲が佐藤家で出生(明治41年)
2 佐藤甲が鈴木乙太郎との養子縁組により鈴木家に入籍(大正10年6月)
3 鈴木乙太郎が死亡し、鈴木甲が家督相続(大正10年10月)
4 鈴木甲が丙を養子にする(昭和7年9月)
5 鈴木甲が 隠居し、鈴木丙が家督相続(昭和7年10月)
6 鈴木甲が高橋戊との婚姻によって鈴木家を去り、高橋家へ入籍する(昭和7年12月10日)

上記の時系列で、甲と丙との養親子関係は、旧民法730条2項(いわゆる去家による養親子関係の消滅)の適用により、昭和7年12月10日に消滅しているはずです。しかし、現在の丙の戸籍に養母として甲が記載されていることが、結構あるようです。
私が見つけたのは、2件とも現在の戸籍に養母として記載のあるものでした。

旧民法730条2項が問題となった最高裁判例もあるということも、いつもお世話になっている同職の方から教えてもらいました。

今年度の作業にも参加する予定です。
今年度はまた少し、事務処理の仕方が変わってくるようなので、戦々恐々としています。

以上です。

2020年5月11日月曜日

成年被後見人に係る特別定額給付金の申請書の送付先変更(備忘)

1 備前市の場合
 備前市作成の申出書と後見登記事項証明書(写し)をメールまたは郵送(5月14日(木)必着)することにより、成年後見人に送付される。

2 瀬戸内市の場合
 既に市に対して、介護保険証等の成年後見人への送付先変更届を提出している場合は、電話等で、送付先の変更に応じる。

3 赤磐市の場合
 一律、住民票上の住所に送付する。

2020年3月29日日曜日

長期相続登記等未了土地解消作業4

作業開始から3か月程度卯ですが、現段階で、私の担当分60件について、既に2,000通以上の戸籍謄本・附票が、各自治体から返送されてきています。
既に、51件納品しました。
出口が見えてきました。
以上です。

2020年3月22日日曜日

当時のいわき市の状況と私の行動

東日本大震災から9年が経過しました。
私は当時、福島県いわき市にある司法書士法人に勤務していました。
3月11日は金曜日でした。
私はその日仕事が休みで、家でインターネットをしていました。
いきなり、下から突き上げるような揺れが起こりました。
「天変地異だ」と思いました。
ずっと揺れ続けるので地震だと思いました。
棚から本がドサドサ落ちてきました。
パソコンを置いていた机の下に逃げました。
地震の時は机の下に逃げる、というのは基本的には正解です。
ただ、震度6弱の地震が発生してしまうと、歩くことは難しいですから、安全な場所を探して避難するということは難しいと思います。
地震が落ち着いて、テレビをつけようとしたら、14型のブラウン管テレビがつんのめってました。
テレビで、震度や各地の状況について見ていました。
津波がくる映像も、テレビで見ました。
私が住んでいたのは、いわき市平というところで、海からは離れているので、大丈夫だろうとは思いました。
ライフラインですが、電気はすぐに復旧しました。
水道は断水して、以降1カ月くらいは断水してました。
固定電話も通じなくなりましたが、3月14日には復旧しました。
外に出てみましたが、静かに騒いでいる感じでした。
夕方になって、事務所に行ってみることにしました。
自転車で10分程度の距離にある事務所に着くと、棚と言う棚か崩れ、書類と言う書類が散乱していました。
事務員の方のご家族で、津波から逃れてきた方々が避難していました。
チョコレートと充実野菜を差し入れました。

次の日、3月12日、始業時間にあわせて事務所に行ってみました。
あいかわらず書類が散乱していました。
昨日、避難してきていた方々はいなくなっていました。
何人かは事務員の方が来ていましたが、断水もしているし、仕事にならないので、すぐに帰ろうということになりました。
その時、原発が危ないという情報も入っていました。
私は土地勘がなく原発がどこにあるのか分からなかったので、だいたいの位置を教えてもらいました。
事務所が休みになって、家に帰って、特にすることもないので、ニュースを見ては寝て、ニュースを見ては寝てを繰り返していました。
知り合いから携帯にメールが入ったり、電話がきたりしていました。
断水はしていましたが、電気が通じていたので助かりました。
近所のスーパー一二三屋は営業していました。

災害時において最低限必要なものを挙げるとすれば・・・、
①水
②食物
③トイレ
④寝る場所
です。
これに、個々人の状況に応じて、プラスして必要なものが増えていきます。

私の場合は、
①水:ミネラルウォーターやウーロン茶の備蓄がありました。また、風呂に入った後、栓を抜いていなかったので生活用の水もありました。
②食物:冷凍庫に、冷凍ご飯などがたくさんありました。
③トイレ:家のトイレが使えました。
④寝る場所:木造のアパートでしたが、地震でも倒壊しませんでした。
災害時において最低限必要なものがそろっていました。
2週間くらいは籠城できるかなと思いました。

しかし、テレビを見るくらいしかやることがありません。
ニュースを見ては寝て、ニュースを見ては寝ての繰り返しでした。
できる限り体力を温存しておいた方がいいと思っていました。
避難するとすればどこに行こうかとも考えていました。
3日間、家で籠城しながら、情報収集をしていました。

3月14日
数十キロ離れた同僚宅へ避難しました。
ほぼペーパードライバーだった私の車のガソリンは満タンでした。
冬タイヤも装着していました。
その頃のいわき市は、震災の翌日からガソリンスタンドにガソリンはなく、物流も寸断されていました。
車もほとんど走っておらず、人もほとんど見かけませんでした。
電気は通じていても、断水していると生活ができないので、多くの方々が避難をしていたのだろうと思います。
同僚宅では3日間過ごしました。
ニュースを見たり、インターネットで情報収集したしするくらいしかやることがありませんでした。

3月17日
さらに避難することにしました。
新潟県に友人が住んでいたので連絡を取り、新潟県村上市まで避難しました。
いちおう一安心です。
福島県から新潟県に抜ける国道49号線は、避難車両でいっぱいでした。
新潟には物資が唸るほどあり、新潟県民の余裕を感じました。
避難と言うとネガティブなイメージですが、私は避難生活を満喫していました。
インフラが壊れたら、インフラが壊れていない所に移動するのがいいです。
新潟での避難初日は、ラーメン居酒屋や温泉に連れて行ってもらいました。
友人は日中仕事があるので、私は友人宅でニュースを見たり、インターネットで情報収集したりしていました。
当時私は過払金返還請求訴訟を多数抱えていましたので、いわき簡易裁判所の審理の状況などもチェックしていました。
1か月程度は、期日は休みになったと記憶しています。
裁判所の建物自体も損傷したようでした。

3月22日
楽しい避難生活も終わり、いわき市に帰ることにしました。
いわき市に戻ると、通常の6割くらいは車が走っていて、活気が多少は戻っているように感じました。
翌日から、仕事を再開しました。

以上です。

2020年3月5日木曜日

岡山県での新型コロナウィルス感染症に関するPCR検査実施人数

岡山県のホームページ「新型コロナウィルス感染症について」の、「岡山県新型コロナウィルス感染症対策本部会議の開催状況」欄の会議資料に、PCR検査実施人数が載っています。
先月27日時点で32(すべて陰性)です。
休校要請に従って小中高校は休校しているようですが、休校する必要性や根拠がないのではないでしょうか。
ここぞという時の最後の切り札を使っている気がします。

2020年2月11日火曜日

長期相続登記等未了土地解消作業3

作業開始から2か月弱ですが、現段階で、私の担当分60件について、既に1,100通以上の戸籍謄本・附票が、各自治体から返送されてきています。
昨年度と比べ作業効率が格段に上がっており、既に納品できたものも複数件あります。
ただ、全然返送されてこない自治体もあり、混迷を極めています。
60件をなめてました。

また、この作業をしていて思うことは、これって本当に意味あるの?ということです。
法定相続人情報ができあがれば、法務局は、相続登記を促す通知を相続人の1人に送るそうです。
通知を受け取った後の手続きについては、兵庫県司法書士会のホームページ などにも記載されています。
相続人の数が比較的少なければ、相続登記の完了まで進むこともあるかもしれません。
戸籍等を取得する手間・費用が省略できるのは非常にメリットです。
実効性がどこまであるかが問題です。
以上です。

2020年2月7日金曜日

電話当番

昨日、初めて司法書士会の総合相談センターの電話当番をしてきました。
相談員の数を増やすということで、瀬戸内市の司法書士も電話当番に組み込まれました。
不動産の登記、特に、相続による所有権移転(名義変更)に関する相談が多かったです。
父母名義の不動産については、再婚等がなければ、あまり問題にならないのですが、祖父母名義の不動産が残っていると、相続による所有権移転(名義変更)をする際に、遺産分割協議の当事者となる相続人の人数が増えていて、遺産分割協議がまとまらない、ということが増える傾向にあります。
相続による所有権移転(名義変更)は早めにしておいた方がよいと思います。
以上です。

2020年2月1日土曜日

独立行政法人住宅金融支援機構に対する抹消書類再交付申請の際に送ったもの(備忘)

 <債務者兼所有者が死亡し、相続登記が終わった後のケース>
・抵当権抹消関係書類再交付申請書(原本)・・・機構のHPからダウンロードしたもの
・依頼者の印鑑登録証明書(原本、3か月以内のもの)
・対象不動産の全部事項証明書(原本、3か月以内のもの、共同担保目録付)
・金銭消費貸借抵当権設定契約証書(写し、いわゆる登記済証、手元にない場合は不要だが、その場合は事前通知になる)
・完済時に発行された委任状、抵当権解除証書(原本、手元にない場合は不要)
・委任状(原本、依頼者から司法書士に対する抹消書類の交付・受領についてもの)
・司法書士会員証(写し)
以上

追記、機構のHPでは、抹消書類の返送まで3週間程度かかるとなっていましたが、3日程度で返送されてきました。機構の中の方、ありがとうございました。

2020年1月24日金曜日

円卓室

昨日は、リーガルサポートの更新研修があり、それは19時に終わったのですが、「今の司法書士会が抱える深刻な問題」を見るために円卓室のドアを開けてみました。
私は当初から、「これは泥船だな」と確信しながら作業を行っているので、なるほど、こんな感じなのね、という印象を受けました。
以上です。

2020年1月10日金曜日

司法書士と仕訳ー立替金の処理ー(備忘)

日商簿記1級を無駄に保有していることもあり、事務所の会計記帳はいちおう私が担当しております。
幣所のような零細事務所ですと、1日あれば1年間の会計記帳は完了します。
通帳、レシート、クレジットカードの明細、請求書控えなどを見ながら、会計ソフトに仕訳を入力していきます。
その中でも、立替金の処理はトリッキーというか、めんどくさいです。
例えば、収入印紙を購入する場合、登録免許税の立替である場合が多いのですが、全てが立替であるわけではありません。
登記情報をネット閲覧する場合、全てが立替であるわけではないのと同様です。

私の場合、以下のような仕訳をしています。
1 収入印紙の代金として現金を10,000円支出したとき
  租税公課 10,000/ 現金  10,000 

つまり、購入時には立替金として計上せず、租税公課として計上しています。
全てが立替であるわけではないため、まずは全てを租税公課として計上するわけです。
立替金の勘定科目は登場しません。

2 売上金を受領したとき(期中は現金主義、期末は発生主義で処理する、源泉所得税は考慮しない)
 現金 70,000 /売上        55,000
          /立替金(登録免許税) 8,000 ←収入印紙使用!!
          /立替金(支払手数料) 5,000 ←ネット閲覧、謄本取得など
          /立替金(郵送料)   2,000 ←切手代など

このとき、初めて立替金の勘定科目が登場します。
立替金の補助科目として、登録免許税、支払手数料、郵送料、訴訟費用などを設定しています。
立替金は資産科目(借方・左側)ですが、貸方・右側に出てきています。
つまり、立替金は期中はマイナスで推移します。
ここが、ちょっと違和感を覚えるところかもしれませんが、我慢してください。
現金残高がマイナスになっている驚天動地な状態よりは全然ましです。
どうせ期末に精算されるのですから。

3 期末の決算仕訳として上記2と同額だけ、立替金に振り替える。
 立替金(登録免許税)8,000 / 租税公課 8,000

この処理をすることにより、立替金(登録免許税)の残高は0になります。

同様に、
 立替金(支払手数料)5,000 / 支払手数料 5,000
 立替金(郵送料)  2,000 / 通信費   2,000

などとする。
これにより、立替金(支払手数料)の残高も立替金(郵送料)の残高も0になります。
つまり、立替金の残高を0にするために、以上の仕訳をしているわけです。

4 さらに、期末の決算仕訳として、既に支出・利用し、来期以降の立替になっているもの精査し、立替金を計上します。
 立替金(支払手数料)1,200 / 支払手数料 1,200 ←戸籍謄本取得代など

これが、本来の立替金の計上方法だと思います。

5 また、期末に手元に残っている収入印紙、切手、レターパック等は、貯蔵品(資産科目)に振り替えます。貯蔵品にしなくとも、立替金としてもいいかもしれません。費用を資産化するという意味では同じですから。
特に、多額に手元に残っているような場合は、気を付けたほうがよいです。
期末に、レターパックを多額に買って、通信費として計上したままにするようなことはしてはいけません。
貯蔵品の補助科目として、収入印紙、切手等の設定をしておけばよいでしょう。

以上、立替金の処理を中心に記載しましたが、あくまでも備忘のためであり、我流であり、立替金に関する処理の全てを網羅するものでもありません。
会計記帳の方法等については、税理士、公認会計士、税務署等に相談しましょう。
以上です。