2018年11月16日金曜日

租税特別措置法第84条の2の3第2項の規定の施行に伴う不動産登記事務の取扱いについて(通知)

以下のようなことが記載されている。

・租税特別措置法第84条の2の3第2項の規定が、平成30年11月15日から施行された。

・平成30年11月15日~平成33年(2021年)3月31日までの間に、土地について相続による所有権移転の登記を受ける場合、当該土地が、「政令で定めるもの」であり、かつ、課税標準たる不動産の価額が10万円以下であるときは、登録免許税を課さない。

・「政令で定めるもの」とは、市街化区域内に所在する土地以外の土地のうち、法務大臣が指定するものである。

・法務大臣による指定は、平成30年11月15日に行われ、官報で告示された(平成30年法務省告示第370号)。

・同項の適用を受けようとするときの申請情報の記載は、登録免許税の欄に「租税特別措置法第84条の2の3第2項により非課税(あるいは、一部非課税)」などとする。

・同項の適用の有無は、法務大臣が指定した土地かどうかを登記官が確認するため、登記申請において特段の証明書類は不要である。

以上。

※法務大臣による指定がなされた土地は、法務局のホームページに官報よりも詳しく掲載されています。
http://houmukyoku.moj.go.jp/okayama/page000212.html

2018年11月6日火曜日

裁判所許可の裁判による戸籍の訂正

相続による所有権移転登記を申請するにあたり、亡くなられた方(Aさんとします。)の戸籍を収集していたところ、戸籍に、「昭和〇年〇月〇日附○○裁判所許可ノ裁判ニ因リ○○○○戸籍訂正申請〇月〇日受附本記載ヲナス」といった記載がありました。

初めて見た記載でしたが、このような記載があると要注意です。
例えば、Aさんが生まれたときに、母の「子」として記載されなければならなかったのに、母の「妹」として記載されたような場合、母の「妹」と記録されている関係で、母と子で戸籍が別々になる現象が起こることがあります。

上記「昭和〇年〇月〇日附○○裁判所許可ノ裁判ニ因リ○○○○戸籍訂正申請〇月〇日受附本記載ヲナス」の記載は、Aさんが間違って他の戸籍に記載されていたので、裁判所の許可を得て、Aさんが本来記載されるべき戸籍に記載しました、という意味です。

このような記載が出てきた場合、相続による所有権移転登記を申請するにあたっては、Aさんが間違って記載されていた戸籍も収集する必要があります。
役所によっては、「Aさんの記載がないようだ」とか、「Aさんが『子』ではなく『妹』として記載されているようだ」とか、「戸籍の訂正によりAさんの記載が全て×印で抹消されているので正確ではないようだ」とかいった理由で、戸籍を発行してくれないことがあります。
確かに、間違って記載されていたAさんの戸籍の記載は、戸籍を訂正するときに、Aさんの部分だけ大きく×印がついて抹消されます。
しかし、戸籍が訂正されるまでの身分変動は、その戸籍に記載されているので、間違って記載されていた戸籍も収集する必要があるのです。
役所の人には、その旨主張し、戸籍を発行してもらいましょう。

2018年10月25日木曜日

差額室料(差額ベッド代)について

差額室料については、あまりよく知らなかったので、少し調べてみました。
埼玉県のホームページ(https://www.pref.saitama.lg.jp/a0702/sagaku.html)が分かりやすかったです。
今年の3月に、厚生労働省から通達が出ていて、差額室料を請求してはいけないケースがより明確になっていました。埼玉県のホームページからもダウンロードが可能です。
この通達を基に、病院側には主張していけばいいです。

2018年7月18日水曜日

司法試験予備試験用法文

先日、司法試験予備試験の論文式試験っていうものを受験してきました。
2日間に渡り、計12時間にも及ぶ試験でした。
試験中は、以下の画像のとおりの「司法試験予備試験用法文」が貸与され、条文を適宜参照することができます。
そして、全科目受験した人には、法文の持ち帰りが認められるということで、持ち帰ってきました。
お疲れ様でした(全ての受験生に対して)。





2018年5月9日水曜日

邑久長島大橋(おくながしまおおはし)開通30周年

平成27年(2015年)1月に、長島を訪れたときに撮った写真です。

邑久長島大橋(おくながしまおおはし)、1988年開通。

反対運動などがあり、開通するまで17年くらいかかりました。

竣工は昭和63年(1988年)2月となっています。

中央にラインがなく、幅は広いとは言えません。

橋上から撮りました。

邑久光明園(おくこうみょうえん)の中を移動して、教会へ行くところです。長島には、邑久光明園と長島愛生園(ながしまあいせいえん)の2つの療養所があります。

教会でいろいろと説明を受けて、移動中。

海に囲まれています。

貞明皇后(昭和天皇の母)の歌が書かれた碑の裏側。

邑久光明園の様子。


こうみょう会館、各種イベント会場として使用。

邑久光明園の様子。入所者の平均年齢は84歳くらい(当時)。
ほとんどの方が在所年数50年以上。
子供がいないので、園内全体が非常に静かです。

2005年、岡山国体の際に天皇が初めてお越しになり、その前にきれいになったゴミ箱。

寺町という一画がありまして、各種宗教の会館があります。

邑久光明園の納骨堂です。

納骨堂。線香をあげました。

金光教、天理教、真言宗、真宗、日蓮宗などの会館です。

          
移動中。

邑久光明園の事務所。

事務所の前にある碑。
1行目に、一旦業病せんがその禍9族に及ぶ、との記載があります。
負の遺産です。

移動中、島そのものが切り開かれているので、坂が多いです。

これはなんでしょうか。

1988年に橋が開通するまでは、物資は船で運ばれていました
届いた日用品などを運び上げるために使われていたものだそうです。

急勾配です。

移動中。

さらに移動中。

光明神社。

とりいの内側から撮りました。

光明神社の狛犬。

狛犬の裏に回ってみると、「滋賀懸癩根絶期成同盟會」の文字がありました。
おだやかじゃありませんね。

移動中。

移動中。下った先にあるものは。

やばそうな建物。

当時は監房と呼ばれていたそうです。

食事は1日1回、2個のおにぎりと沢庵1切れ、梅干1個と水だったそうです。

逃亡を図った者などを園長の裁量で監房に入れていました

監房の裏側。

この監房は1939年から1953年まで使用されていたそうです。

二つの桟橋、右側の桟橋は入所者用、左側の桟橋は職員・来客用。

邑久光明園の資料展示室。今回は入っていません。

邑久光明園の見学を終えて、長島愛生園に移動しています
同じ長島の中に、邑久光明園と長島愛生園があります。

移動中。

火葬場があったところです。

入所者が妊娠したら中絶、子供が生まれたら殺すことがまかり通っていました。

子供の供養のため地蔵だと思います。

慰霊碑。当時の火葬場の写真が刻まれています。
火葬場は、2005年、岡山国体の際に天皇が初めてお越しになる前に潰されました。

遺骨の残骨が納められています。

海が見えます。

移動中。

移動中。

収容所の説明書。島に連れてこられた入所者が最初に入る建物です。

ここで1週間くらい過ごしました。



収容所に入ったところ。



脱衣所。

入所者は最初に体を消毒させられました。
ハンセン病は感染力が極めて弱いので、消毒は必要ありません。


ここで消毒をしました。



 
収容所の外観です。

移動中。

長島愛生園の納骨堂万霊山(ばんれいざん)


移動中。
           
岡山県立邑久高等学校新良田(にいらだ)教室。

全国に13ある国立ハンセン病療養所で、唯一あった高等学校。
397名が入学し、307名が卒業しました。






          

見学を終えて、移動中。
 
移動中。

移動中。

橋を渡ります。