2018年5月9日水曜日

邑久長島大橋(おくながしまおおはし)開通30周年

平成27年(2015年)1月に、長島を訪れたときに撮った写真です。

邑久長島大橋(おくながしまおおはし)、1988年開通。

反対運動などがあり、開通するまで17年くらいかかりました。

竣工は昭和63年(1988年)2月となっています。

中央にラインがなく、幅は広いとは言えません。

橋上から撮りました。

邑久光明園(おくこうみょうえん)の中を移動して、教会へ行くところです。長島には、邑久光明園と長島愛生園(ながしまあいせいえん)の2つの療養所があります。

教会でいろいろと説明を受けて、移動中。

海に囲まれています。

貞明皇后(昭和天皇の母)の歌が書かれた碑の裏側。

邑久光明園の様子。


こうみょう会館、各種イベント会場として使用。

邑久光明園の様子。入所者の平均年齢は84歳くらい(当時)。
ほとんどの方が在所年数50年以上。
子供がいないので、園内全体が非常に静かです。

2005年、岡山国体の際に天皇が初めてお越しになり、その前にきれいになったゴミ箱。

寺町という一画がありまして、各種宗教の会館があります。

邑久光明園の納骨堂です。

納骨堂。線香をあげました。

金光教、天理教、真言宗、真宗、日蓮宗などの会館です。

          
移動中。

邑久光明園の事務所。

事務所の前にある碑。
1行目に、一旦業病せんがその禍9族に及ぶ、との記載があります。
負の遺産です。

移動中、島そのものが切り開かれているので、坂が多いです。

これはなんでしょうか。

1988年に橋が開通するまでは、物資は船で運ばれていました
届いた日用品などを運び上げるために使われていたものだそうです。

急勾配です。

移動中。

さらに移動中。

光明神社。

とりいの内側から撮りました。

光明神社の狛犬。

狛犬の裏に回ってみると、「滋賀懸癩根絶期成同盟會」の文字がありました。
おだやかじゃありませんね。

移動中。

移動中。下った先にあるものは。

やばそうな建物。

当時は監房と呼ばれていたそうです。

食事は1日1回、2個のおにぎりと沢庵1切れ、梅干1個と水だったそうです。

逃亡を図った者などを園長の裁量で監房に入れていました

監房の裏側。

この監房は1939年から1953年まで使用されていたそうです。

二つの桟橋、右側の桟橋は入所者用、左側の桟橋は職員・来客用。

邑久光明園の資料展示室。今回は入っていません。

邑久光明園の見学を終えて、長島愛生園に移動しています
同じ長島の中に、邑久光明園と長島愛生園があります。

移動中。

火葬場があったところです。

入所者が妊娠したら中絶、子供が生まれたら殺すことがまかり通っていました。

子供の供養のため地蔵だと思います。

慰霊碑。当時の火葬場の写真が刻まれています。
火葬場は、2005年、岡山国体の際に天皇が初めてお越しになる前に潰されました。

遺骨の残骨が納められています。

海が見えます。

移動中。

移動中。

収容所の説明書。島に連れてこられた入所者が最初に入る建物です。

ここで1週間くらい過ごしました。



収容所に入ったところ。



脱衣所。

入所者は最初に体を消毒させられました。
ハンセン病は感染力が極めて弱いので、消毒は必要ありません。


ここで消毒をしました。



 
収容所の外観です。

移動中。

長島愛生園の納骨堂万霊山(ばんれいざん)


移動中。
           
岡山県立邑久高等学校新良田(にいらだ)教室。

全国に13ある国立ハンセン病療養所で、唯一あった高等学校。
397名が入学し、307名が卒業しました。






          

見学を終えて、移動中。
 
移動中。

移動中。

橋を渡ります。